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自分の部屋は三階だ、朝ラジオ体操が済み散歩に出て帰って来た「杖を忘れた」と言う、後でナースコール「部屋にあった」と、我々ニヤリ、入居して十何年、周辺に植えてるサツキやツツジの剪定、ほとんどお願いしっぱなし。作業の後「ちょっと一杯があったらええのう」夕食後差し入れ、宿直さん、夜半仲々歌ってました、との報告、お酒大好き。
月一回の買物日、必ず職員と大小で争っている、つい私も敵、味方とコロコロ変わり、ヘルパーさんより大分匂ってましたが?と聞くとドキッ、笑顔を見ると安心の繰り返し。百歳のお祝いに親戚の黒潮町長さんが安倍総理の表彰状を持って来ると伝えた、当日、名誉であり頑張っておりますのでよろしく、年齢と思えない立派な挨拶をした、後で飛んで来て「他に荷物は?」酒だなピンときた私は「何本か預かっちゆう」大きく頷き元の席へ、舞台では慰問カラオケ、プロ顔負けの衣装を競い歌ってる、後方で杖を支えに聞いている、立ったままの居眠り、後で戦争を経験すると身体が覚えると言った。戦前中支最前戦から大平洋上の玉砕、全滅と言われる激戦域へ、そして奇跡の生還を果たし百三才「よう生きて帰つたね」と聞く「どうしてじゃろ」と黙る、戦争の事は喋らない、施設での夏祭り、早々と捻りはちまきだ「盆踊りは皆で賑やか踊っちゃっらないかん」よく言った。盆には霊がが帰ると言う、戦友が、との想いか、地域は皆で盛り上げよう、なのか考えさせられる事でした、思い出深い百三歳、ご苦労様、有難う抑座いました!